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徳島県神山町 昭和52年の「やまに」 その1

以前、スダチ狩りで紹介しました「やまに」。
子供の頃は学校が休みになると遊びに行った田舎。
虫や生き物が大好きな少年には山や川は飽きる事のない遊び場でした。
小学生の頃は泳げなかったが、大人たちに交じって
投網で魚取りや、もずくがにの仕掛け、うなぎ突き
など自然との付き合い方を教わった田舎。
山も川も母屋もそのまま残っているのに、
子供達に、同じ経験をさせてやれない事が悔やまれてならない。

高校生の時に描いた絵がありましたので、
思い出話と共に紹介させて頂きます。

今は無くなってしまいましたが、わら葺の納屋がありました。
母屋と同じレベルの地面が1階で、機械化された手押しの耕運機や脱穀機が
出入りするのに十分過ぎる大きな開口部がとられていました。
機械のカラフルな塗装が建物とはマッチしていなかったのが印象に残っています。
面白かったのは、今や郷土資料館でしか見れないような木製の
農機具が同じ所に並んでいた事。小学生でも興味を引きました。
ほとんどが江戸時代や明治の制作年号と製作者の名が墨で記されていたのを記憶しています。
また、牛を飼っていたので餌になる干草をストックする場所があり、
子供の遊び場にもなっていました(ふわふわのベッドでした)。
ロフトのような屋根裏には埃を被った古い木製の小型の器具類や道具が
足の踏み場もないぐらい山積みで置かれていました。
子供心に片付けたら広く使えるのにと思ったが、おそらく物を大切にしていたのでしょう。
もし整理整頓が苦手だったのであれば、そのDNAは小野浜にも確実に受け継いでいると思います。
因みに、何故そんなどうでもよい事を覚えていたかと言うと、
かくれんぼの時、邪魔と思っただけの事でした。

山の中腹に建つ、「やまに」ですが、納屋もその地形を利用した構造になっており、
下層には建物の半分ぐらいの面積が牛小屋と道具置場となっていました。
その壁には大きな青石を使い石垣が組まれていました。
その上に納屋の床を支えるごっつい梁がむき出しで見え山から切って来たまんまの
ぶっとい柱が立っていました。
牛が少々ぶちかましても平気なくらい、ごっつい物だったと記憶しています。
そして便所がこの牛小屋の前にありました。
子供の頃はここが一番恐ろしいところで、引き戸を開けると(ほとんど開け放しだった)
当然、和式ですがその姿はいたってシンプル。
床の板を切り込み開口が開けられ金隠しと言うよりお小水当てが
立っているのみ、時代劇などで見た事があると思います。
それの何処が怖いねん!と思われるでしょう。
その開口部をまたぐ時に見える物は大きなプ-ルになった肥溜めだったのです。
それもその床には柱は無く完全な跳ね出しで上の梁から吊下げられた構造、
床板も薄かったように記憶しています。
小学生でもこれ落ちたら死ぬでと判るくらい恐ろしい所でした。
ゆえに、使用時は抜き足差し足状態で、そぉ~と乗っかっていました。
昼間は野外ですのでハッキリ下の景色は見え、夏場は訳の分らん虫たちが
うようようごめき、さらに恐怖感をあおりました。
夜は電気も無く、最初の頃はろうそくの光を頼りにし、続いて懐中電灯になり、
電球が付いた時は嬉しかったが、歓迎出来ない虫達が寄ってくるのが
新たな、悩みの種になり、小は庭&屋根、大は我慢あるのみでした。
長々と、しょ~もない話ばかりで、すみませんでした。

3月遅くに降った雪化粧の納屋です。
CA3F0062_20121027224718.jpg

反対側から俯角で見る、木地小屋があり母屋を望む。
CA3F0067_20121027224713.jpg
 
牛と便所のある所から見る。
絵具で色を着ければ・・・と、思っていましたが
何十年もほったらかしになっています。
CA3F0057_20121027224719.jpg

拙い内容に、拙い文章に、未完成の絵。
どうでもよい思い出話にお付き合い
ありがとうございました。

後、一回ありますので、ご辛抱願います。



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テーマ : 和風、和物、日本の伝統 - ジャンル : 趣味・実用

タグ : やまに 納屋

2012/10/27 22:53 |雑記帳COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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